無人島に持って行くもの1つは?そこから見えてきた幸せ
先日ツイッターにてこんなツイートを見かけました!
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無人島に何か1つだけ持って行くとしたら…
これをふと考えたけど現実的な話、現代人のほとんどが、度ありの眼鏡かコンタクトのどちらかになりそう。
視力調整できなかったら何もできない。
このツイートを見て確かに。と思ったわけです。
と、言うのも僕は視力が良くて、裸眼でも不自由な思いをすることがなく生活ができています。
いままで視力が悪い人の気持ちになったことがなかったのでこのツイートをきっかけに少し考えてみました。
確かに視力が悪くて、視界全てがぼやけていたら多くのことが不便になるなと。
今の自分は視力がいいことが普通の状態だから、そこに対して『幸せだ』とか何かを改めて思うことはなかったんですよね。
よく、幸せは当たり前の中にあると言いますし、自分でもわかっているつもりでいました。
でも当たり前すぎて気づけていないことはまだまだあるな..というか、気づいていない時点で幸せというか。(哲学笑)
そんな風に考えるキッカケになりました。
もちろん、視力が悪い人に、『不幸だ!』と言いたいわけではなく、
今ある技術や科学、医療の力で不自由を避けられていると思うんです。それもまた幸せなことなんじゃないかなと。
毎日コンタクトを洗ったり、お金もかかるかもしれないけど、でも、それをすればそれ以上の自由があるってことはかなり幸せです。
人生いろいろ
生きていたらそりゃいろんなことが起こりますよ
そこに楽しいこともあるけど、不運なことや嫌なことはもちろん起こります。
不運なことや嫌なことって目につきやすいんですよね。
さっきの話を踏まえながらよくよく考えてみると、
幸せは当たり前の中にあって気づいていないことがほとんどです。多分意識しているつもりでも無意識で当たり前の中に幸せはゴロゴロと転がっています。気づけないんです。
だから何が言いたいかって、
不運なことって実は幸せの数よりも本当は少ないけど、幸せは無意識的にカウントすることがないから(当たり前の中にあるから)、数少ない不運なことが起きた時に目立つのは当たり前なことなのかなと。
端的ににいうと、不運は目につきやすいだけで一部だけ。幸せの数の方が圧倒的に多いんです!
だから、今ある当たり前の中にある幸せに目を向けよう!って言いたいのではなく、
不運なことが起きたり、嫌なことがあったり、悩んでいるときに
全て嫌になってしまうのではなく、これは一部なんだと思うことで
少しは希望が見えてくる気がしませんか(^ ^)
無人島に持って行くもの1つは?そこから見えてきた幸せ・まとめ
不運なことはごくごく一部!!
当たり前すぎて気づいていない幸せがたくさんある!!!
不運なことが起きたり、嫌なことがあったり、悩んでいるときに
全て嫌になってしまうのではなく、これは一部なんだと思うことで
少しは希望が見えてくる
大丈夫(^ ^)
では!
こんにちは!ライチです!
今回は『無人島に何か1つ持ってくとしたら何を持って行くか?』と言う質問と、そこから見えてきた幸せの本質について少し考えていきたいと思います!